幸盛寺

樹齢450年の銀杏の下に眠る尼子十勇士



浄土宗鹿野山幸盛寺は、昔、鹿野城の目前に計画的に作られた鹿野の町並みのほぼ中心地にある寺で、1449〜52年誠蓮社証誉により持西山の梺に持西寺として開かれたといわれています。
1500年代終わり、因幡気多郡の領主となった亀井茲矩は、義理の父にあたり尼子十勇士である山中鹿之介幸盛を弔うため、ここに幸盛寺を移し、名前から幸盛を取り寺名を改めたと伝えられています。この尼子十勇士は、名家尼子の再興のために一生をささげた人々。
現在その墓は幸盛寺にあります。また、同じく尼子十勇士の日野五郎之房の墓もあり、幸盛の甲部川の難で命を落とした13勇士の墓もここに造っています。
慶長年間になり、亀井茲矩は現在の鳥取市味野村の願行寺にある運慶・堪慶の合作と伝えられる護持仏阿弥陀如来を譲り受け、ここ幸盛寺の本尊物とし、湖山池干拓事業の際に掘り出された布旋仙林寺の明応六年1497年号の梵鐘もこの寺のものとして納めています。
その当時に植えられた銀杏の巨木は、幸盛寺の巨大イチョウとして有名で、すでに樹齢は450年余。
その後亀井茲矩が津和野に移封されいつしか便りが無くなってから後も、巨大イチョウとともにこの古刹は絶えることなく地域に生きつづけています。

幸盛寺
所在地
鳥取県鳥取市鹿野町鹿野1306 
交通案内
◆電車
JR浜村駅から路線バス約20分「鹿野町総合支所前」下車 徒歩約5分
◆車
JR鳥取駅から車で約30分
中国自動車道「佐用JCT」から鳥取自動車道「鳥取IC」佐用から車で約2時間
電話番号
0857-84-2075

鳥取のオススメVR